言語と言語の架け橋となるTRANSLATIONは人によっては簡単に思えるかもしれない。
言葉と言葉を英和辞典なり和英辞典のようにワードを変換すればよいだけだ。言葉と言葉のつながりは文法というルールがあれば鬼に金棒。
そういう浅い考えでいわゆる自然言語処理という分野は発展してきたし、また英語における語学教育も行われてきた。
しかし、実際のところ、どちらも中途半端なままそのPROGRESS(進歩)は止まっている。いくら勉強してもTOEIC800点超えれない。不自然なGOOGLE翻訳。専門的なものでもほとんど意味が分からない。メザニンのデプロイをやるうえでググってみたが、そのまま英語で出してくれればいいのに、機械翻訳されたものが出てきて肝心の原文がどこにあるのか見当たらないということが多々あった。一応読んでみるが、何が書かれているのかさっぱり。英語できない人は大変だなーと密かに感じた。やはり専門的になればなるほど日本語でのリソースは著しく減ってくるため、海外のリソースに頼るほかない。中国語でも出てくる時があるが、これはお手上げ。ただ翻訳はまだましだから一応訳されたものが参考になることがある。
知識というものは多くの人が使っている言語でこそ知識が蓄積していくものであり、人口が少ないとリソースがどんどん減ってくる。GOOGLEで収益化しようと思えばアクセス数を伸ばす必要があり、誰もが困りそうなことは多くの人がサイトにその解決法を提示しているが、検索数が少ないような専門的なことは誰も書いてくれない。書いてあってもかなり情報として不足していたり、もはや通用しないほど情報が古かったりする。人口がマイナス成長に入り、その加速度がますます増えていく状況の日本では、情報ソースが日本しかないというのは自らの成長を狭めることとなるであろう。
一方、翻訳に関してもディープラーニングという方法に頼る限りその精度はすでに限界を迎えている。そもそも言語とは今は話されていたり、書かれていたりする情報だけで成り立っているわけではなく、個人的なコミュニケーションであれば個人間の言葉に出ていない前提があったり、マス的なコミュニケーションでも文化的な見えない情報が前提情報として含まれたりする。こういうインビジブルな情報はディープラーニングという方法に頼った自然言語処理では処理する方法がない。所詮は関数でしかないのだ。
こういった状況を鑑みると、外国語、とくに英語の習得は将来にとってマストであり、日本語しか話せないのは、自分を鎖国して田舎の限られたスペースでしか動けない状況に追い込むことになる。人は見えない情報をうまく挟んで理解の助けになるように反射的に物事を理解する能力は備わっている。それならばあとは正しい語学教育を受ければそれなりの語学力は養えるはずである。正しい語学教育。ただし、これは多分将来においても実践されることはない。なぜなら語学により格差を生むことができる。上級国民は金の力で留学させることができる。貧乏人には無理である。私の世代でも知り合いの留学生に多くの有名人の子弟が含まれていた。上級国民にとって正しい英語教育がなされ、多くの日本人に英語能力が備わると困るのだ。彼らが有能であるという証明が成り立たなくなってしまう。
一人一人が学校ではなく、自分から知識を学び取り、英語だけでなく数学、国語、物理などで圧倒的に優位に立てる人が一人でも多く生まれてくることを切に願う。
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