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私は歴史に関しては得意だった方だが、いまいち教科書を読んでも腑に落ちないことが今から考えるといくつかあった。歴史が不得意という人もいるが、これは出来事を暗記と捉えてしまうことによるものが大きい。英語も同じである。単語、熟語、文法の暗記科目と捉えると絶対に平均点を大きく超えるような実力は身につかない。その意味でも、教科書はさっさと捨てるべきである。教科書は要所をつまみ食いしているだけで、少しでも異論があるような事であれば、問題を避けるために意図的にそういった説明を避けているはずである。そうすると物事の深い理解ができず、暗記に頼ってしまう。暗記を避けるにはなぜそうなったかを経緯を含めて書いているような書物を使うことが重要だ。昔と違い今はこの隙間を多様なブログがあり、うまい説明をしてくれているので、自分で検索して調べてみるのも良い勉強となろう。
歴史ミステリーとして今も闇に包まれている本能寺の変 - なぜ起こったか、について語る。現地に赴いて、資料を調べてみて、などということは一介のサラリーマンには無理な話だ。あくまで説である。とはいえ、雑多な情報が提供され、何を信じればいいかわからない状況で、より真理に近いものを選ぶというプロセスと意思決定は現代において重要なキーアビリティである。現代の情報過多の時代にあってそれがどのように生活に関係するのか、どのような時代に向かっていくのか、それを吟味するのは個々人に委ねられている。ただ、多くの人はそれを考えようともせず、唯々諾々とテレビのコメンテーターや社会の多数決による雰囲気に乗っかるだけの空虚な人生を受け入れてしまっている。常識を疑う訓練。これは歴史という正解が必ずあるが、情報として不足している中で何が真実かを捉える良い訓練である。歴史とは覚えることではなく、出来事と出来事の因果関係を推論すること。その推論にどれほど説得力を持たせることができるかが一つの能力の証明とは言えないだろうか。