育児系ニュースに度々、佐藤亮子さん、広津留真理さんという東大、ハーバードに子供を入れた育児方法というお題で目にするようになった。自分の子供を頭が良く、技術がある人間に育てたいという希望はもちろん持っているが、彼女たちの理論には全く賛同できない。
反対意見は結構あるようだが、その主張の多くは子供を管理しすぎているということらしい。子供を管理して自由を奪ってストレスをためさせてはいけないということみたいだ。まあ、確かに学校終わって塾に行かせているというのはしんどい。私も小学校の頃、進学のための多少厳しい塾に通っていたが、土曜日だけだったと思う。ただし、塾についていくには家での学習は当然のことでその方がハードだったと思う。小学校4年の頃から通っていたが、その頃は母親がつきっきりで夕方から寝るまで勉強の面倒を見てくれたおかげで成績は順調に伸びていった。学校でも一目置かれる存在になり、多少の自己肯定感の醸成には役に立ったと思う。
無事に第一希望(親の)の中学に入学でき、母親もフルタイムで働く様になり、勉強に関してはあまり見てくれなくなった。そうすると勉強しているだんだんと成績が落ちてきた。入った当初はそれなりに上位に位置していたと思うが、高校進学のころになると、エスカレーター式でほぼすべての生徒が同じ高校に進学できるはずが、ギリギリ進学できるというレベルまで落ちていた。グレた、勉強が嫌になったということはない。理由は明快で自分なりの勉強方法ではテストの点を取れるまで訓練が行き届いていなかったのである。数学は問題を読んで一通り考えた後、解答をみて理解してハイ終了。あとは何とかして解法を覚えようとしていた。明らかに背景の知識を無視していたと反省している。そんなこんなで大学も大したところへ行くことができなかった。ただし、その反省があったため、大学で勉強する決心がついたことも確かであり、下手に成功してしまっていれば、無為な大学生活を送ったことだろう。
話を戻して、子供の受験ということになると、子供を管理して、子供自身がそのことに対して反抗しなければ成績は自ずと伸びるはずである。なぜならどうすればテストで点が取れるレベルの知識にもっていけるのか、何がわかっていなくて問題が解けないのか、こうした疑問に効率的に答えを導き出せるからである。我流でやるとどうしても自分に甘くなり、知識の定着の前に学習を終えてしまう。親が最後の詰めをやってあげることができれば受験など余裕だと思う。ただ、何がわかっていないのかを知ることは多くの時間を管理に費やす必要があるのでそこが問題となる。もちろん適切な答えを導きだすだけのセンスは必要だし、教え方のうまさも必要である。これがないと子供も答えてくれないだろう。管理するとはつまり自分の時間を消費して子供と時間を共有することになる。現代の共働き当たり前の世の中になりその時間を抽出できる人はわずかではないだろう。
私は最初に述べたお二方の問題はここで、現代の親は「そんなに子供を管理する時間はない」、である。子供のストレス云々はどうでもよく、成績がある程度ついてきて自尊心が満たされるならそれほどストレスにはならないと思う。ここで大切なことは勉強のやり方をしっかり教えることができればあとは同じことの繰り返しなのだから抽象度を上げてメソッドの方にもっと力を入れるべきだと考える。絵本を1000冊読ませました、とかどうでもいい努力である。それよりもわからないことがあれば、こうやって調べて、自分で解答を出す、その方法を教える。今はネットもあるのだからどうすれば自分の欲しい解答にたどり着けるのか、その方法を教えたり、もっと詳しく知りたかったら図書館に行って面白そうな本を一緒に探してみる。そういった方法の方が、建設的だと思う。そうやって知識を広げていくことで勉強が面白くなる。教科書がダメなのは周辺の知識を切り取って本質だけを抜き出そうとするところである。これでは知識に有機的なつながりが感じられず、記憶という方法に頼りがちになる。教科書は使ってはいけない。すべてを理解して使いこなせるようになって、その雑多な知識を整理するだけの代物である。
こういった方法を体現できるようになればもう学校はいらない。時間の無駄である。学校という無駄を省いて効率化できれば小学校6年までに高校で習うことのほぼすべてをカバーできると思う。
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