どのような教科でも言えることだが、覚えることはなるべく少ないほうが良い。覚えても使用場面が限定的になり、応用が利かない。特に英語は覚えることが一つの努力とみられがちだが、実はそうでもなく、むしろ単語でも文法でも基本知識を応用させる場面の方が多い。文法は特にその傾向が強く、中高時代に多くの文法用法を覚えさせられてきた。しかし振り返ってみると、そのほとんどは本能的に理解できるものばかりで、コアの用法とイメージを教えれば、あとは応用でいくらでも理解可能なことばかりだと気が付かされる。
ここでは時制に対象を絞ってその意味の広がりを説明したいと思う。
学校で教えられる時制は12個である。
現在形
過去形
未来形そしてそれぞれに進行形が3種類。
現在進行形
過去進行形
未来進行形完了形もそれぞれ現在、過去、未来で3種類。
現在完了形
過去完了形
未来完了形最後に完了進行形。これも3種類。
現在完了進行形
過去完了進行形
未来完了進行形
しかし、コアとなる時制は2つしかない。しかもこの二つからさらに丁寧語まで説明できる。つまり応用力があれば覚えることなど本来わずかなもののだ。そして応力があればなんとなく違うというニュアンスも感じられることができるようになり、アウトプットするときに大変役に立つ。
そのふたつとは現在形と過去形である。現在と過去では絶対に未来は説明できないだろうと感じられた方。では未来形という動詞の形があるでしょうか。-edや-ingといったように動詞が変化しますか?未来の内容というのは、現在の時点で予測不可能であるため、その内容の確信度で表現方法が異なるのである。これがいわゆるwillとbe going to という形で具体化されるのだ。「will」は事実ではないが、、言っている本人は100%近い確信をもって話している。確信度が低くなる順序はwill/must/should/may/mightである。この順序だけ覚えておけばよい。
では 「be going to」はどういった意味を表しているのだろう。willとの違いは何か。
① I’ll get you something to eat. What do you wanna eat?
② I’m going to get you something to eat. What do you wanna eat?
(何か食べるものを持っていくよ。何が食べたい?)
①は先ほど説明した通り、強い意志を表し、食べ物を必ず持っていくという強い意志を表している。一方で②の方は「be + going」という途中を表す連語に「to」のコアイメージ「向かっている」がくっついたものである。つまり、食べ物を持っていくという行為に向かっているという一種の比喩表現なのである。まるで~しているようだという感覚を持たなければならない。この場合だと、例えばドリンクをすでに用意しており、次に何をカバンに入れようか悩んでいるような状況で使うのが正しい。したがってbe going toを使うときは話者と聞き手の間で何らかの共通のイメージがすでに共有されている必要がある。急に思い立って 「I'm going to get you something to eat.」とは言えないのだ。お互いおなかが減っているという前提を共有しているような状況などでない限りおかしな表現である。
英語では丁寧語の多くは過去形であることを知っている人は多いだろう。ただ、なぜそうなるかについてはほとんど知られていない。英語の過去形のコアイメージは「距離感」である。郷里とは、「現在からの距離」、「現実からの距離」、「相手からの距離」の3つのパターンがある。それぞれ、「過去形」「仮定法過去形」「丁寧語」と表されるがこの文法的区分けはどうでもよい。実際、仮定法過去と丁寧語は一心同体ともとれる。
パーティに招かれたとして、断る場合、
No, I can't join you.
とすると直接的な表現になり、申し訳ないという心理が描写されない。
一方、
I wish I could, but ~
と表現すれば、行きたいのだがという心理を相手に表現できるため、丁寧な態度を表現できる。この場合過去形にも関わらず、現実には起こっていないことを表現している。この現実との距離感と相手との距離感が過去形となって表現されているのだ。仮定法過去ではなく、単なる過去形でも
could you do me a favor ?
can you do me a favor ?
どちらも文法的には正しいが、Can you で始まるお願いはかなり無理があるだろう。このように単純に過去形にするだけでも丁寧な表現を作ることができる。
丁寧の正反対が命令である。命令の時は原形が用いられる。
Clear the table.
命令はまだ行われていない状況を意味する。つまり未来である。未来のことも原形で表現することができる一つの例である。
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