皆さんは認知言語学というものをご存知でしょうか。まだ一般的にはそれほど知られていない学問領域だと思います。ここではイメージ学習の有効性を認知言語学の観点から検証していきたいと思います。
言語学は主に大きく分けると2パターンあります。理論言語学
と認知言語学
です。基本的に今の言語学習の方法は理論言語学を元にして成り立っていると感じられます。理論言語学の基礎の考えとしてどのような言語であれ、どの言語にも最上位に普遍的な文法(Universal Grammar)というものが存在するというもので、それぞれの言語はその普遍的なパターンを継承しつつも個々の下位の構造が違うために別の言語となっているという考え方です。それぞれの言語にはパターンがあり、それを体得すれば自由にその言語を使いこなせると考えられます。つまり、文法、単語の知識があれば問題なく外国語を読めるし、聞くことができるというものです。考え方自体はもっと深遠で難しいものですが、わかりやすく大胆な解釈をしてみました。そしてこの考え方を元に開発されたのがディープラーニングを使った翻訳機です。
ディープラーニングが一般的に適用されるようになってまだ5年(2020年当時)程度ですが、その精度は目を見張るものがあり、10年後には人が運転する必要がない程度まで認知力が上がると言われています。言語にディープラーニングが適用されるようなって確かにその精度はここ最近飛躍的に高まりました。これは前後の単語の情報を言語解析に組み込むことにより、その単語の意味がより明確になったことによるものです。ところが完璧といえる精度とはまだまだ大きな開きがあります。単語のそして残念ながら今の理論体系ではこれ以上の大きな飛躍は見られないと思っています。なぜなら単語の意味は前後関係だけでなく、文章全体、もっと言えば書かれている場所・人にも依存するため、前後関係の情報では明らかに不足だからです。このような情報はたとえディープラーニングといえど、コンピュータ処理することは今のところ不可能です。言語の意味解釈は今のところ、そしてこれからも我々の頭の中でしか実現できない言語システムなのです。これは理論言語学とは離れ、認知言語学と言われる分野の発想です。
では、認知言語学とは具体的にどのようなものなのでしょうか。私たちは中高時代を通して、文法というものがあり、その中に単語を当てはめて英文を作っていると考えさせられてきました。つまり、
言いたいこと(意味) → 文法 → 単語
という順番で考えることを暗黙的に要求されてきたと思います。しかし、認知言語学では、文法と単語は連続体と考え、
言いたいこと(意味) → 文法・単語
であり、文法と単語は一対であると考えます。理論言語学では文法はすでに与えられた機械のようなものであり、その意味は話者や書き手によって不変ですが、文法と単語を一対でとらえるとはこれに反し、文法と単語それぞれの意味を連関させて話者や書き手に独自の意味を持たせるという考え方です。ここで当然の疑問として、例えば過去形なら過去形であり、勝手に現在形や未来形にはならないでしょうというものです。これは私なりの解釈ですが、その疑問に答えるなら、ひとえに過去形と言ってもその文章の中でその過去形がどれほど重要かは内容によって異なり、また書き手と読み手にとってもその重要性は違うのではないか、ということです。要するに文法は大きな意味の観点では共通の意味を持っているが、細かいところは違う部分が多分にあり、その意味は読み手の解釈によって異なる場合もあるし、文章全体の意図する内容でも場面場面、書き手にの違いによって差異が出てくるということです。
一つ例をあげましょう。
(a) Tom gave Mary a book on science.
(b) Tom gave a book on science to Mary.
これは受験英語では等しい文として言い換え可能と定義されいます。しかしこの二つの文には大きな意味解釈の異なりがあります。(a)はTomがMaryにサイエンスの本を渡し、Maryはそれを今も持って読んでいると解釈されます。一方、(b)はTomがMaryに本を渡したという事実だけを表現する言い回しです。これはどういうことかというと、
Tom gave Mary a book on science but she rejected it.
とは言えないのです。なぜならMaryは本を読んでいるという情報を前文で渡してしまっているので。
このように、同じ意味として捉えられている文法でもそのあとに続く言葉により、見えなかった情報が浮き彫りになることが多々あります。こちらの例では、文法的な解釈は存在していますが、実際問題このようなパターンをすべて抜き出して覚えるという学習法は大変非効率的であり、なぜそうなるのかという意味の連関性がない物事を覚えておくのは苦痛でしかありません。また、たとえディープラーニングがどんなに優れていたとしてもこのような言外の意味まで拾い上げ解釈するような装置を開発することは容易ではないでしょう。したがって理論言語学を元にした学習法はすでにその存在意義を失っていると思います。一方認知言語学では内容をイメージとして捉えるため、この場合はこう、この場合はそれ、という文法パターンでは考えません。あくまで、イメージとしての認知です。イメージは場の雰囲気と共に記憶装置に放り込まれます。したがって同じようなカテゴリの文章や表現方法が出てきたとき、同時に画像のようにイメージが浮かび、そして意味の理解へと導かれるのです。この方法であれば、文法という規則が上から落ちてくるという感覚がなく、単に意味の理解を助ける弱い法としての役割しかもちません。
まとめると、文法習得や語彙の習得というのは、人間が本来持つ高度な認知(覚えて引き出すのではなく、一瞬でそのイメージが浮かぶ)能力の産物であり、その単語に出会った背景(映画や広告、授業)の中で、言い換え、比喩表現、文章表現方法(スキーマ)が複雑に絡み合った中で、習得されるものというのが正しい解釈です。したがって認知言語学の観点から言えば、他者と自分との相互の意思疎通を通じて習得するものなのだという考えが認知言語学の言語観です。
これまでの英単語の記憶方法では、日本語に置きなおされることで、一面的な意味でしか単語というものを捉えられませんでした。それはこの認知言語学上あまり意味がない学習法です。一方イメージ学習では、単語の持っている背景イメージや比喩的な表現、クオートなど文章的な表現から紹介させていただいています。単語のより自然な意味理解の手助けとなる画像をを心がけて選別しています。確かにこの学習法だけですべてが盤石とはいきませんが、このイメージ学習を基礎として、英語に触れる機会を増やせば、学習を通して出会った単語のイメージがその出てきた単語のイメージと重なり合い、内容について深い理解を得られる体験ができると思います。今後ともなるべく日本語にはなりにくい英単語を分かりやすいイメージで紹介していきます。引き続き、お楽しみください。
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